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私が岩泉に来たわけ その3

2017.6.3

執筆者:大野みぎわ(2013.12 移住)

 

 

私が岩泉にきたきっかけ
 

「マッチング…ですね。」
 

 

幼少期の頃から慣れ親しんで過ごした兵庫、そんな私が関西地方を離れるきっかけを作ったのは青年海外協力隊への参加でした。そして、協力隊として海外で活動中に東日本大震災が起きました。震災から約半年が経った頃、任期を終え日本に帰国し一旦は地元で就職しました。その後、復興庁が募集していた復興支援員制度に応募し、私の専門が福祉分野だったことから、福祉職人材を探していた岩泉町とそれまでの私の経験が「マッチング?」したことで町への派遣が決定しました。
 

 

岩泉町という町の存在、日本三大鍾乳洞のひとつである龍泉洞でさえもまったく知りませんでした。旅好きでしたが、寒さが苦手だったので、なかなか東日本へ行く機会がなかったのです。「岩手県の岩泉町という町が福祉職を募集していますがどうですか?」との連絡に「行きます~」と返信し、町への派遣が決まってからグーグルマップで町の位置を調べ、町の中心部と思われる町役場周辺と、駐車場に停まっている車の大きさと、その周りの森林の大きさを比較して、かなりの衝撃を受けた事を覚えています。当時はSNSもまだまだ普及したばかり、情報量も今ほど多くは無かったような気がします。
 

 

寒さにも負けず、交通の不便さにも負けず、2013年12月から2016年3月まで復興庁の復興支援員として町役場の福祉課で勤務しました。任期を満了し帰る予定でしたが、福祉課で働いていたご縁がきっかけで2016年4月からは新しく立ち上がったNPO法人「クチェカ」に所属、被災者支援と福祉分野で活動しています。
 

 

遠方から来たということもあり、「帰りたいと思ったことは無いですか?」と良く聞かれますが、今ここで正直に綴るとすれば、私の場合は日常茶飯事です。やっぱり、自分のルーツは関西にあるんです。「100人いたら100通りの感じ方があるからね」と、今回お話をいただいた際に言われたので、あえて書くことにしました。しかしながら、ちょっと大げさではありますが、今はこの町で自分にしかできないことをやっている(と思い込んでいる)ので、なんやかんやでぼちぼちやっていってます。昨年、岩泉町を襲った台風10号災害もそうですが、この先何が起こるかなんて分かりませんしね。
 

 

そう、「今、ここで、アナタにしか出来ない事」そんな物事が沢山詰まった町なのだと思うのです。
 

 

私自身はIターンでもなく、Uターンでもなく、Jターンでもない、中途半端な状態だと思っていますが、それでも自分が大切にしたいヒト、モノ、コト、岩泉にきてから沢山増えました。沢山すぎて、持って帰れないんでしょうね、きっと。だから、私にとっての岩泉町は「好きです!岩泉」やなくて「ナゼか?離れられない岩泉」です。ふらっと訪れただけではこの町の真のまりょく…いや魅力にはかかりません。(一発でかかってしまう強者も沢山いるようですが…)
 

 

「住んでみて 初めて分かる いわいずみ」やと思います。
 

 

以上、町外出身者の生の声をお届けいたしました。
来て観てみてね、岩泉★

一般社団法人 KEEN ALLIANCE
岩泉町移住コーディネーター穴田光宏